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通信館トピックス

この生業を通して地域社会に貢献する

この地震の終焉は、いつになるのだろう。震度1以上の地震が800回を超え少しづつではあるが回数が減って来ている。日奈久断層は、もう暴れることはないのだろうか。14日に最初に地震が発生したころと現在の地震は性格が違うように思える。突き上げるような感覚が最初に訪れる今の地震は、最悪の状態を予測する感覚が歪めない。「お願いだから、このまま終息してください。」と神に祈ってしまう。そのような気持ちを誰もが抱いているに違いない。こんな毎日を送っている皆さんに掛ける言葉が次第に少なくなってしまう。みんな頑張っている。誰もが必死なのだ。そして明るく振る舞ってくれている。こんな状態の中、今何をしてあげればよいのだろう。毎日そんなことを考えている。
 我社の中で一番被害が大きかったのは、宇土と阿蘇一の宮であった。被害と言っても建物がどうこうあった訳ではない。ライフラインが寸断されたので営業できなくなっていた。しかしスタッフの実家は、かなり被害にあっている。私はまず、被災情報を集めることから始めた。ほぼ一日を費やし情報を集めた。幸いにして全壊や半壊の家はなかった。しかしまだ住める状態ではないが、荷物や着替えを取りに帰ることは出来るし、屋根にビニールシートをかぶせると寝むれないことはない状態であった。次に通勤可能かどうかを調べた。道路はさすがに痛みが酷い。迂回しながらの状態で通常より10分、20分の費やする通勤時間は、免れないようである。しかし、通勤できないスタッフはひとりもいなかった。一安心である。車の中で寝ているスタッフや避難所生活を余儀なくされている人たちは、「自分の命は自分で守る」ことを最も大切で最優先し行動して頂きたい。私が言いたいのは次のことだ。余震が少なくなって来て気が緩まないようにしなければならない事。昨日まで通れた道だからと過信して運転しない事。就寝の際は、ペットボトルと非常食を必ず手元に置いて休む事。テレビやインターネットで情報の確認を怠らない事。出来るだけ一人でいない事。以上のことは最低でもいつも心に留めて行動して頂きたい事。これは社長命令と受け止めてもらいたい。この10日間、いつも君達のことを考えて来た社長の言葉と受け止めて頂きたい。
 16日の未明に起きた震度7の地震。明くる日に私は阿蘇へ支援物資を出来るだけ積み込み車で走ることを一番に考えていた。皆さん、お分りと思うが、居ても立っても居られない性分である。朝から専務に告げると一喝された。「社長がいなくなって昨夜より大きな地震が来た時会社はどうなるの・・・」私はハッとした。確かにそうである。私が司令塔である。私が判断し即座に指令を出すことでみんなは安心してくれる。私は動くべきではない。そのことを痛烈に受け止める言葉であった。それから私は、各店の状態と体調管理、そして何よりも大切な心のケアーに特化して考え動いた。まず初めに気付いたのは、どんな危険な状態にあっても家族といたいという事だ。すぐに決断し動いた。単身で生活しているスタッフや通勤距離が長いスタッフの移動を実行した。そして本日からスニーカーや運動靴を履いての勤務。ネクタイスカーフの排除を決めた。今KDDIの支店長に「熊本限定ユニホーム」を早急に作ってほしいと要望している。私たちの使命は、店舗を営業し続ける事。
 この生業を通して地域社会に貢献する。我社の経営理念で行動することを切に願う。

熊本地震 3

 このような状態がいつまで続くか解らないことは、どのような事でも同じであることは誰もが理解できている。未来とは、全てにおいてそう言うものである。しかし、地震の予測が付かないことは、不安と恐怖が心の中で暴れまわる。今日一日は、そういう日であった。昨夜の未明に八代を震源地とする余震が3度ほど体感した。その度に目が覚め跳び起きる。
終息するまで緊張が走る。直下地震は、「ドスン」と激しい縦揺れが起こりそれから横揺れが始まる。ほんの10秒ほどの地震だが、胸がきゅっと閉まるような緊張感が起こる。昨日の17時に震度5強を喰らってからこの状態の繰り返しである。
 今日の昼間は、何もなかったかのように余震を感じなかった。小さな余震はあっていたようだが、人間と言う動物は本当に面白い。これだけの被害を目の当たりにしていても、他のことで話が弾むと瞬間的に地震のことを忘れてしまう。数分後、我に変えればまた思い出す。
だからこそこうやって生活出来ているのであろう。夕方から松江通りとゆめタウンを廻ってみた。昨日決めた異動で何名かの顔触れが変わっていた。ゆめタウン八代店自体も昨日だけ点検修理を行い本日より営業を開始していたが、テナントの4割は、休業のお知らせをネットに貼り休んでいた。一応、テナント会の会長職も引き受けているので全店を廻ってみた。
子供服の専門店では、オーナーが一人で接客をしていた。彼女もテナント会の理事なので挨拶を交わすと「スタッフさんは休ませました」「小さな子供がいたり、避難所生活していたりで疲れているから今日は私一人で頑張ります」と元気に言ってくれた。頼もしい方である。
食事もろくに取れず、トイレも行けない状態。さすがオーナーである。このような方が八代の街を支えてくれている。根性が違うと心から感じた。
 さて、今夜も後1時間を切った。先程震度3の余震が来たが、これが今日の中では一番強い揺れだった。余震がだんだん少なくそして小さくなって来ているような気がする。私がいるフロアーの先でスタッフ達の笑い声が聞こえる。うちのスタッフは本当に良くしゃべる、そしてとても楽しそうにしている。誰もが不安と恐怖の中で過ごしているのに大きな声でゲラゲラと笑っている。私は、こんな会社とスタッフ達に囲まれて本当に幸せ者だと思う。こんな時でもみんな団欒の良き時間と快適な空間を過ごしている。
「このまま終息してほしい。神様お願いします」実に本音の祈りである。震度1以上の地震が実に800回を超えようとしている。日本の気象観測史上はじまって以来このようなことはない。こんなことで歴史を塗り変えなくてもいいのに・・・
 14日に地震が発生して1週間が過ぎた。本当に長い7日間であった。最初の話に戻るが、明日何が起きても不思議ではない。だから今この時を一生懸命生きて行かなければならない。何としても頑張りぬいてみせる。300人を超えるスタッフとその家族がいるのだから。
今夜は、本当に静かな夜である。だからさらに怖さが増してくる今しがた余震が来た。おそらく震度3クラスだと思う。ここまで地震を体験すると身体がジャッジしてくれる。今夜は、自宅に帰ってふわふわの布団で眠る人も結構いるだろう。本社ビルの泊り客も今夜は幾分少ないようである。私もここらで就寝タイムに突入することにしよう。

熊本地震 2

 本社に避難して5日目の夜を迎える。昨日は、ついに八代が震源地の震度5強の強い揺れに見舞われた。夕方17時頃だったのでもちろん会社で仕事をしていた。丁度KDDIから救援物資が届けられ5階に運び終えた直後であった。総務課長の緒方と検品を終えエレベーターのボタンを押した直後であった。あと5秒早かったら二人は乗り込んでいた。この地震の後どこかの施設でお年寄りがエレベーターに閉じ込められたと全国放送で流れていたが、私達もその時報道されていたかもしれない。本当に直下型は、一瞬で来るのでなすすべがない。せめてトイレやお風呂の時には来ないでいただきたいと切に想ったことだった。
 昨夜は、その後の余震も震源地が八代で今までの揺れ方とはまた違う動きをする。最初につき上げが来るので本当に恐怖である。ただ救いなのは、地震の振動時間が短いこと。回数は多いが殆どが10秒そこらで終息する。阪神淡路大震災は、確か1分ほど揺れたと記憶しているが、今回の地震が30秒や40秒でも来ようものなら、このビルでも危ないかもしれない。今までの余震で相当疲労しているに違いない、ついそのようなマイナスイメージを考えてしまうのも地震のせいなのだろう。
 弊社のショップの中で、一番被害が大きかったのは、阿蘇一の宮であるが、被害と言うよりライフラインが全て止まってしまったから開店できないでいる訳だ。阿蘇のスタッフ達は、避難所生活をし、車の中で寝泊まりを繰り返している。阿蘇のスタッフは現在6名だが、そのうち2名は、八代と宇土から単身で勤務してもらっている。逆に宇土店の店長と松江通りのサブ店長は、阿蘇から来ていてこちらも単身である。私は、互いの状況と心情を考え、この2組を入れ替えることにした。両者ともに何だかホッとした様子が伺えた。やはり、実家のご両親や家族のことが心配なのだ。2人が八代を出発する時に、車に乗るだけの物資を詰め込んで帰した。水・カップ麺・レトルトカレー・紙コップ・カートリッジのコンロ・電池・お菓子にキャンディ・野菜に果物・・・車はすぐにいっぱいになった。阿蘇に残るスタッフの実家に程よく行き渡るようにお願いして出発してもらった。昨日の20時ごろ全部の実家へ届け終えた旨の一報が入った。
 そして今朝、私はハッとした。すべての社員が家の近くの店舗で仕事をしたいと考えているに違いないと・・・部長へすぐに指示を出しこう言った「すべてのスタッフを実家へ帰すぞ、出来る限り通勤時間を少なくさせよう」今日中に入れ替えを済ませ8名のスタッフが移動することになった。実家が傾いている社員もいる、でも家族といることが何よりなのだ。今日の11時過ぎに阿蘇へ帰した宇土店の店長から電話が入った。「阿蘇に電気が来ました。今3名のスタッフで店舗を清掃中です。13時には、お店オープンできます」と・・・わたしは目頭が熱くなった。避難所生活を余儀なくされ、身も心も困憊しきった状態でお店を開店させようと必死でやってくれている。本当に素晴らしいスタッフ達に恵まれたものだ。「ありがとう。閉店は早めに明るいうちに閉めなさいよ」と伝えた。また元気な声で返事が返って来た。本日本社ビルに泊まっているスタッフ達の声が今は聞こえない。疲労のピーク
を迎えているのだろう。終わりのないドラマは、これからもまだまだ続く。 

熊本地震 2

熊本地震 1

パソコンに向かう時は、メールの確認かその返信の時になってしまっていた。忙しいからと自分の中で言い訳をしていたことは認めざるを得ない。もう一度気を引き締めて何事にも正面から向き合って行きたいと心に誓ってみた。
 今、4月18日の23時50分である。実はこの3日間、会社に寝泊まりしている。社長室の机とテーブルの間に避難所で使うマットを引いてその上に布団を引き寝ている。4月14日21時16分に発生したマグネチュード7.3の大地震を皮切りに、今日までに500回以上の地震が発生している。約60年間この地で生まれこの地で育ってきたが、もちろんこのような経験は一度もない。誰もが予想もしない出来事がこの熊本の地に襲い掛かって来ているのだ。私は今、この実態に遭遇しどのように表現すべきか悩んでいる。ありのままを語るべきか、それとも心の様相を綴るべきなのかと・・・
 14日の地震以来、その日の夜は、頻繁に震度5前後の地震が発生した。誰もが殆ど寝ていないはずだ。私も朝方2時間ほど寝たように思うが、浅い眠りであった。翌朝、八代のお店周りとスタッフ全員の安否確認をした。幸いにもスタッフ全員とその家族も無事であった。昼から夜にかけて大した余震もなかったのでこのまま収束するのではと内心考え始めていた。その日の夜は、商工会議所の会頭・副会頭の食事会であったので会頭を囲みながら熱のこもった論議でお酒もすすんだ。その時の自分の心は、昨夜の地震でほぼ終わると考えていた。お酒も結構入り、会頭ともう一人の副会頭と帰路に着こうと話していた矢先であった。マグネチュード7,5と言う化け物の地震が私達を襲った。私たちがいたビルが老朽化していることも重なり本当に怖さを感じる揺れであった。あちこちでガラスの割れる音が聞こえた。生きた心地がしない瞬間を味わった。地震が収まるとすぐに外へ出てタクシーを拾い帰路を急いだ。
 家に着くと女房と長女、それに隣に住む次女の家族がみんな外に出ていた。「こんな時間までなにしていた・・・」と言わんばかりの冷たい視線。当然である。私はバツが悪かったのもあるが、これからどうするかの話を私から切り出した。「会社に行こう」即座に女房が反応した。「私もそれがいいと思う」と。決まりである。深夜の2時を回ろうとしていたが、3人の幼い孫たちを抱きかかえながら本社ビルへ移動した。そこで気になったのが、八代に単身で住まわせているスタッフ達のことである。男性3名女性3名のスタッフがアパート暮らしをしてくれている。この子たちに電話で連絡すると当然みんな起きていた。そして不安だったのだろう。全員着の身着のままで本社にやって来た。
 本社ビルは、8年前に購入した。買った時、このビルの施工に携わった業者の社長から「このビルは八代で一番頑丈なビルばい。損保会社の日動火災ビルだけん安心して買いなっせ」と言われた。我社のスタッフ達にもその話をしていたのでみんな集まって来たのである。
 今夜で3日目。自宅よりはるかに揺れを感じない。今夜も6人のスタッフ達と団欒しながら先程まで過ごしていた。いつまで続くかわからない今回の熊本地震。少しでもスタッフの心の心労を軽くしてあげることが私の務めであると心に誓っている。

新たなステージへ

 今月も後1週間である。今年の繁忙期は昨年までと違い少し寂しい感じがする。市場の変化とは、本当に怖いものである。昨年安倍首相の発言から携帯業界の方向性が大幅に変わった。「携帯キャリア3社は、利益を取り過ぎている。もっと利用者に還元せよ」このような内容であった。総務省はすぐに動き出し、携帯電話の市場と世界基準を調査し始めた。携帯キャリア3社の経営利益も携帯電話の使用料金も世界基準とさほど変わりなく、かえって日本の方が安いようだとの調査結果であった。そこで矛先が我々の販売方法と契約の縛りに移行してきた。「0円販売」「高額なキャッシュバック」「さほど必要もないものを無理売り」0円販売を「ただ配り」と言っていたこともあった。急激に伸びた時代はまだしも、キャリア間競争の波にのまれながら、つい最近までその販売方法は我々業界ならではの特異的なものとなった。
 携帯電話の販売代理店を始めて28年。振り返ってみると様々な方法手段で契約数を増やしてきた。小学生からお年寄りまで、老若男女、日本の人口よりも多い数の携帯電話が世の中で使用されている。15年ほど前になるが私の高校の同窓会の折、担任の先生から「高校生に携帯電話は売ったらあかんぞ」「社会悪だ」と言われたことがあった。」その時は、他の同級生たちがかばてくれたが、そのような時代があったことを今改めて思い出す。
 私達は、より快適で便利なものを販売することでお客様からの「ありがとう、あなたから買ってよかった」と言って頂きたい一心でこの仕事に精通し邁進している。本来のありようは、この考え方でいいのであるが、年間目標・3か月の総合指標・代理店カテゴリー・毎月の店舗目標・多種目やクレカ、光やデンキに水・・・「もう。気が狂いそうになる」そう思っていてもおかしくないと思う。
 ではこのような状況で私達は、何をどのような立ち位置で価値訴求を推進して行かなければならないのであろうか。ポイントは3つあるように思う。まず1つ目は、当たり前のようだが、KDDIが販売する商品アイテムを心から熟知し好きになる事である。すべての商品が完成度の高い商品というわけではないかもしれない。しかしいずれの商品にもお薦めのポイントや類似品より優れたところはあるはずだ。そのことを学習し精通することである。2つ目は、自分の得意種目を作ることである。「この商品なら私に聞いて」とみんなに言える商品を作ることだ。3つ目は、全社員で成功事例の共有と得意種目を持っている人からの情報共有である。この事をみんながいつも使っているラインでどんどん流すこと。優れた接客技術と情報の共有がスタッフの自信と実績につながって行く、その流れをみんなで作り出していただきたい。この提案力の差がこれからの差別化に不可欠なものとなる。
 過去にホスピタリティを中心に接客向上を図ったが、次第に実績は反比例に曲線をたどったことがある。ホスピタリティにもう一つのエキスが必要だという事だ。それは他店とは明らかに違う。「提案力の差」でお客様の信頼とご支持を勝ち取ることである。新たなステージの幕開けとともにまた一歩前進した当たり前のレベルを作り上げていかなければならないのである。再度店長を中心にテンションを最大限に上げ取り組んで頂きたいと考える。
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