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通信館トピックス

新しい出会いに感謝

 10月21日ついに60歳の還暦を迎えた。30歳になったころから大台に乗る度に気を引き締めてと言い聞かせてきたが、あくる日からまた同じような生活にまみれ、変わりなくここまで来たように思える。そうはいっても通信館を創業して30年、人生の半分を通信館で戦ってきた訳だ。30歳の時、一人で始めたポケットベルの営業。現在では、携帯事業に70名、コールセンターに50名の大所帯になった。自分の年齢を考えた時より、仕事の現実を見据えた時の方が、身が引き締まる思いがする。「みんなが少しでも楽しく、幸せになるように」と心からの思いである。
 10月8日ゆめタウンの本社からリテーション開発部の金藤(カネトウ)部長が来社された。この方は、ゆめタウングループのテナント部門を担当する親分である。2年前から話に上がっていたauショップとSBショップの移転問題が話の大筋であった。正式な交渉としては、今回が3回目になる。今回は、親分のご来社ということで着地点を決めて交渉に臨んだ。来年2月の上旬の移転を私の方から切り出した。金藤部長の顔がいっぺんに笑顔になった。あとは詳細の詰めとお隣との話し合いである。SBショップを運営する㈱ジョーツーの後藤社長との交渉は、私がすることになった。彼とは高校の同級生で3年間同じクラス。隣同士の席だったこともある。考え方も良く理解し合える仲なのでそのような形になった。久しぶりの来社だったので金藤部長とゆめタウン八代の尾崎次長と3人で食事に出かけた。
 金藤部長の話を聞きながら、やはり大きな会社は大変だとつくづく感じた。部長曰く、「岡山から長崎まで8回の転勤をして来た。すべて家族同伴です。」娘さんがお二人で、小学校が3校・中学校が3校・高校が2校転向されているそうだ。ゆめタウンの中でも珍しいことだそうだ。金藤部長が長女の高校卒業式に初めて参加された時の話。今まで12年間学校の行事は一度も参加したことがなかったそうで。奥様から「最後だから何とかなりませんか・・・」とお申し出があったそうだ。卒業式が無事に終わり、クラスごとの最後のホームルームを奥さんと共に見学。先生から話があり、その後全員の生徒が一言ずつ挨拶となっていた。金藤部長の長女さんが話された言葉「小学校から12年間で8回の転校をしてきました。最初は不安でいっぱいだったけど、今になってみると各地にたくさんの友達が出来、今でも親しくおつきあいしています。これが私の宝物になりました。全部の転勤に連れて行ってくれた両親に感謝します」と話されたそうだ。後ろの席で夫婦そろって号泣しました。と楽しそうに話してくれました。
 私は、この話を聞いて益々この金藤部長を好きになった。そして「金藤さんの人柄と仕事を頑張って来たことを奥さんが子供たちにいっぱい話してくれたお陰ですね」と言いました。来年の3月に次女さんが大学を卒業されやっと肩の荷が下ります。と笑顔で話される金藤部長を信じてゆめタウンの移転を前向きに考える決意となった出来事である。
 このような出会いが、60歳の私にもまだまだあることをどうか知ってほしい。そこから考えると皆さんの可能性は、無限大ということになる。星の数ほどの出会いを自分のものにするかどうかは君達  次第である。

台風の思い出

 台風16号が日本列島をなめるように進んでいる。945ミリバールの台風が日本に上陸するのは本当に久しぶりである。速度も遅かったせいで九州、四国、紀伊半島、愛知東海地区と相当な被害が出そうである。今年の台風は、動きが本当に解りにくい。これも異常気象の仕業なのだろうか。今夜関東を抜けて太平洋に進むだろう。どれほどの被害に日本中が見舞われたか明日の朝、その被害状況が報道されるであろう。今は、最小限度の被害を祈るばかりだ。

 九州は、過去においても台風の被害で何度も悲惨な目にあっている。八代でも何度となく大きな被害に見舞われている。私が覚えている範囲で3度は、甚大な被害に襲われている。昭和41年だったと思うが、当時私たち家族が住んでいた長屋に樹齢100年ほどの大木が折れて長屋の屋根めがけて落ちてきた。朝方4時ごろだったと思うが「ドスン」と爆弾でも落ちたかのようにとてつもない爆音が響いて飛び起きた。親父と一緒に外へ出てみると隣の家の2階部分が跡形もなく潰れていた。隣には、当時30歳後半の女性が一人で住んでいた。親父が「〇〇さん大丈夫ですか?」と2回ほど叫んで小さなか細い声が返って来た。親父が瓦礫を退かしその女性を救出した。幸い足にかすり傷と打撲程度の負傷であったが、救急車が来るまで我が家で休んでいらっしゃった。家の前の道路は、ジャングルのように大きな木が横たわっていた。私が台風の怖さを初めて体験した出来事だった。なぜなのかはよく分からないが、台風は、夜か明け方にやってくることが多いような気がする。しかし2度目に大きな台風に見舞われたのは、真昼の台風であった。あれは平成5年だったろうか?その頃私達は、代陽小学校の裏手に住んでいた。あちこちで瓦が飛んだり、ガラスが割れたりと相当な被害が出た。井揚町では、電柱が軒並み倒れていた。壁が崩れ、並木が根元から折れていた。道路もかなりの所で通行不能になっていた。我が家も被害が出た。玄関の横に洋間があったが、そこの畳2畳ほどある1枚ガラスが多分隣の瓦が飛んできたと思うが、粉々に割れた。12畳ほどの洋間は、ガラスの海。その部屋に誰もいなかったから良かったものの、その場にいたら怪我どころでは済まなかったかもしれない。

 最後は、12年ほど前のことだが、この時も夜中の台風で本当に風が尋常でなかった。今、神山本部長が住んでいる家の庭の木が3本、折れて家の屋根に倒れてきた。私は、娘と二人で恐々窓越しに様子をうかがっていた。その時である。我が家の斜め前のお宅の屋根がギシギシとうねり音と同時に道路の方に180度倒れてきた。信じられない光景に出くわしてしまった。今もあの光景は忘れる事はない。屋根が丸ごと倒れてくる光景などそう簡単に見られるものではない事ぐらい分かっているが、柔道の一本背負いのような光景であった。

 この3回の台風が私の記憶から離れない大きな台風であるが、ここ数年、八代地域には、それほど大きな被害は出ていない。地震もそうであったが、今のところギリギリのところで収まっている。これが最悪の事態が起こる予兆でなければいいが、熊本地震も収まりつつある中で、最後に日奈久断層深度8などと言う事がないとも限らない。
何はともあれ、災害に対しての準備と注意を最大限に払いながら毎日を過ごしたい。
台風の思い出

次の竹永淳一へ! 次の通信館へ!

 9月に入り、また夜中のスポーツ観戦に夢中である。パラリンピックが開幕して5日が過ぎた。各国の代表が障害を乗り越え鍛えてきた人間の限界を披露している。オリンピックとは、一味違う新鮮さと感動を与えてくれる。
 先日、東京から飛行機で帰っている時のことである。いつものことだが座席に座り最初にすることは、JALの「SKYWARD」に目を通すことから始める。私が一番目に見るのは、植木義晴社長のあいさつ文である。国際線の経験が長かった植木社長は、その経験から様々な観点で意見や思いを述べられている。その切り口は新鮮であり、素朴さを感じる。
レベルは違うが一社長として共感を覚えてしまう。いつもは、その後旅の話題やグルメ情報などにさらりと目を通す頃に次第に眠気が襲いだし次目が覚める時は、着陸のアナウンスが流れる時である。
 しかし今回は違った。隣のページに目をやると「只今、JALで移動中」のコマーシャルページであった。リオオリンピックの時は、錦織 圭選手が一面を飾っていた。そして、パラリンピックは、車いすバスケットボールのエース、香西宏昭選手だった。中身に目を通すとシュートをする寸前の香西選手の写真とそのすぐ横に短い文章が載っていた。その文章を読み終え愕然とした。2度震えが来た。そして次第に涙が溢れてきた。泣いている訳ではないが、涙がほほを流れて本の上にぽたりと落ちた。
 私が愕然とした言葉は次の言葉だ。
 
僕は、生まれつき、この体だ。
だから、障がいを乗り越えたという意識はない。
いつも前を向いてきた。
可能性を信じてきた。
大事なのは、言い訳をしないで生きること。
挑戦をためらうことはない。
失敗を恐れることはない。
仲間がいる。

 
次の香西宏昭へ
 
 何という言葉だろう。今、そのページに書いてある文章を見ながらパソコンを打つ手が震えてくる。「障害者」を特別扱いしてきた自分が情けない。健常者、障碍者と決めつけているのは健常者であった。それこそ差別ではないか。香西選手は、個性と受け止めている。そしていつも前を向いて可能性に挑戦し続けている。言い訳をしないで生きることすらできないでいる私。

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スポーツとリーダーシップ

 21回目の日曜日にブラジルのリオデジャネイロで開催されていたオリンピックが閉会した。今回もたくさんの感動と興奮を全世界の人々の心に与えてくれた。4年に1度のスポーツの祭典。私は、ニュースやハイライト放送を含めるとほぼ全ての日本選手のメダル獲得場面を視聴することが出来た。日本選手団は、41個のメダルを獲得した。過去最高の獲得数である。どの選手のどの色のメダルを見ても最大の賛辞を送りたくなるような素晴らしいシーンの連続であった。特に今回目立ってたのが、専属コーチとの二人三脚で数年に渡り挑戦し続けてきた選手が活躍したこと。水泳の萩野選手や金藤選手がその筆頭で、金メダルを獲得すために計画を立ててそれを成し遂げた良い例だった。このようなことは、日本が国を挙げて予算措置を行い、満たされた環境の裏付けが必要となる。大成を成し遂げるためには明確な目標と綿密な計画とが成し得ることであり、リーダーのありようと経営のやり方で非常に参考になった。いよいよ4年後は、東京開催である。新たな目標をセッティングして更なる飛躍を誓うアスリートがたくさん出てきてほしい。今回のリオ五輪をテレビ越しに観戦しながら「次は俺の番だ」と考えたところからもう壮絶なレースは始まっているのだ。
 41個のメダリストたちがインタビューに答える際、誰もが一様に同じ感想を述べていた。これは恐らく心からそう考えてのことだろう。彼らは「たくさんの方に支えられたからこそメダリストになれた」と異口同音であった。それは何度も訪れた試練を克服した人達だからこそ心から出てくる率直な心だと感じた。世界の頂点に立てたことは、自分の努力の成果とは誰も答えないのだ。家族のお蔭・チームメイトのお蔭・コーチのお蔭・見守ってくれたすべての方々のお蔭と話していた。逞しさと人としての謙虚さがもたらすこの現実こそが、私が通信館でやり遂げたい経営である。
 さて、もう一つ。八代にとってうれしいニュースが舞い込んできた。夏の甲子園で春に続き連続のベスト4に秀岳館が輝いた。100年以上も続く高校野球。八代の高校では今まで一度も成し得なかった成績である。準決勝で惜敗したが、心からよく頑張ったと褒めたい気持ちになる。秀岳館が急に強くなった理由は、間違いなく2年前に赴任された鍛冶舎監督の存在である。鍛冶舎監督は、今年で65歳になられる超一流の監督さんだ。早稲田大学・松下電器と六大学・社会人野球と現役時代名キャッチャーとして活躍された。その後、松下電器の監督も努められた。また全日本の大学チームの監督も経験されている。押しも押されもしない日本一の監督である。高校野球の春の大会。試合後のインタビューのコメントが実に軽快で謙虚であった。私は、この監督さんともっと話してみたいと。生き生きとした選手たちの態度。パワーあふれるプレー。控えの選手もレギュラー陣と同レベルの実力者揃い。秀岳館の魅力が鍛冶舎監督の魅力そのものに代わって行った。
 そこで、11月に商工会議所主催で鍛冶舎監督の講演会を開催する運びとなった。来週学校を訪ね正式にお願いするが、口頭での了解はもらっている。厳しさの中に愛を感じる監督。それが鍛冶舎監督と思う。決して妥協することは許さない。甲子園優勝だけを見据えて突き進む姿勢を学ばせて頂きたいと心から考えている。
スポーツとリーダーシップ

心のゆるみと油断は大敵

 4月14日の熊本地震以来、慌ただしい日々が続いて来たが、ここに来てやっと平常に戻りつつある。3年ぶりに開催した通信館の慰安旅行も無事に滞りなく終了した。同時に開催されたau八重洲会の10周年記念パーティも盛大な幕切れとともに7回目のファイナルを迎えた。皆さんとともに参加したパーティと慰安旅行。満足して頂いたようで企画した私としても安堵感と満足感で大変心地よい気持ちになれた。改めて皆さんからのありがとうメールに感謝したい。次の慰安旅行がいつになるかまだ分からないが、「どうすれば喜んでいただけるか」の観点に立ち、新しい企画を考えてみたいと思っている。こうご期待と言うところだ。
 さて、プライベートの話題で恐縮だが、7月17日にアメリカの伯母、鈴木かつ子が他界した。急なことで私達も大変驚いているが、何と言っても89歳だったので大往生といえるであろう。しかし、伯母は大変心残りのまま旅立っていくことになったと推測する。「100歳まで現役を貫く。そして映画女優になる」と常々話していた。昨年の私の父の一三回忌に帰郷したのが最後となってしまった。「六〇歳なんて怖くない」の自叙伝が伯母の集大成となってしまったが、伯母は、この本の映画化を強く思っていた。そのことをなし得なかった想いを察すると何とも切なくなると同時にこの歳まで現役を貫き通した鈴木かつ子と言う女性を尊敬して止まない。伯母の遺言で「博シャンの墓に入りたい」と言っていたので8月11日に納骨式を取り行う準備をしている。伯母は私の父をこよなく愛していた。父博も伯母のことが大好きで最大の理解者であった。そんな関係で父が眠るお墓に入ることになった訳である。各店舗や部署に伯母の本が置いてあるので興味のある人はぜひ読んで頂きたいと考える。そして、私達の人生も常に前向きで今日一日を大切に生きて来た伯母の人生のように挑戦してほしいと心から願っている。
 私達の業務は、先月のお手紙で紹介したコールセンターの拡張でより充実した業務体制になって行くことが予想される。auショップの運営も合わせて再度慎重かつ丁寧な業務運営をお願いしたい。と言うのも私達の業務は、代理店や下請け業務であることは言うまでもないが、どちらもB.TO.Bの関係で法的な契約を結び運営を依頼されている。したがって、発注側の考え方を最大限理解して運営して行かなければならない宿命を背負っている。虚偽や不正は当然ありえない。だが個人の心のゆるみや油断から本来の意図ではない行動で結果ミスを犯してしまうことがある。当然そのようなことが起これば会社に対してペナルティが発生する上、今後の契約にも支障を来たすことも現実に起きている。挨拶やお詫びが心から行われておらず、また反省した行動がないなどの理由で、再度同じような出来事が発生した時に契約解除の話まで進んでいる同業代理店があることをご承知置き願いたいと切に想う。「少しのゆるみと小さな油断」は各人の気持ちの持ちようである。改めて心を引き締め、心の中にきっちりと納めて頂きたい。しかし前向きで明るく楽しんで仕事をすることが通信館の社員である。一日一日をそのような一日で終われるよう頑張ってほしい。当たり前のレベルを上げる事、その言葉に尽きるようだ。 

心のゆるみと油断は大敵
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