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通信館トピックス

心のゆるみと油断は大敵

 4月14日の熊本地震以来、慌ただしい日々が続いて来たが、ここに来てやっと平常に戻りつつある。3年ぶりに開催した通信館の慰安旅行も無事に滞りなく終了した。同時に開催されたau八重洲会の10周年記念パーティも盛大な幕切れとともに7回目のファイナルを迎えた。皆さんとともに参加したパーティと慰安旅行。満足して頂いたようで企画した私としても安堵感と満足感で大変心地よい気持ちになれた。改めて皆さんからのありがとうメールに感謝したい。次の慰安旅行がいつになるかまだ分からないが、「どうすれば喜んでいただけるか」の観点に立ち、新しい企画を考えてみたいと思っている。こうご期待と言うところだ。
 さて、プライベートの話題で恐縮だが、7月17日にアメリカの伯母、鈴木かつ子が他界した。急なことで私達も大変驚いているが、何と言っても89歳だったので大往生といえるであろう。しかし、伯母は大変心残りのまま旅立っていくことになったと推測する。「100歳まで現役を貫く。そして映画女優になる」と常々話していた。昨年の私の父の一三回忌に帰郷したのが最後となってしまった。「六〇歳なんて怖くない」の自叙伝が伯母の集大成となってしまったが、伯母は、この本の映画化を強く思っていた。そのことをなし得なかった想いを察すると何とも切なくなると同時にこの歳まで現役を貫き通した鈴木かつ子と言う女性を尊敬して止まない。伯母の遺言で「博シャンの墓に入りたい」と言っていたので8月11日に納骨式を取り行う準備をしている。伯母は私の父をこよなく愛していた。父博も伯母のことが大好きで最大の理解者であった。そんな関係で父が眠るお墓に入ることになった訳である。各店舗や部署に伯母の本が置いてあるので興味のある人はぜひ読んで頂きたいと考える。そして、私達の人生も常に前向きで今日一日を大切に生きて来た伯母の人生のように挑戦してほしいと心から願っている。
 私達の業務は、先月のお手紙で紹介したコールセンターの拡張でより充実した業務体制になって行くことが予想される。auショップの運営も合わせて再度慎重かつ丁寧な業務運営をお願いしたい。と言うのも私達の業務は、代理店や下請け業務であることは言うまでもないが、どちらもB.TO.Bの関係で法的な契約を結び運営を依頼されている。したがって、発注側の考え方を最大限理解して運営して行かなければならない宿命を背負っている。虚偽や不正は当然ありえない。だが個人の心のゆるみや油断から本来の意図ではない行動で結果ミスを犯してしまうことがある。当然そのようなことが起これば会社に対してペナルティが発生する上、今後の契約にも支障を来たすことも現実に起きている。挨拶やお詫びが心から行われておらず、また反省した行動がないなどの理由で、再度同じような出来事が発生した時に契約解除の話まで進んでいる同業代理店があることをご承知置き願いたいと切に想う。「少しのゆるみと小さな油断」は各人の気持ちの持ちようである。改めて心を引き締め、心の中にきっちりと納めて頂きたい。しかし前向きで明るく楽しんで仕事をすることが通信館の社員である。一日一日をそのような一日で終われるよう頑張ってほしい。当たり前のレベルを上げる事、その言葉に尽きるようだ。 

心のゆるみと油断は大敵

コールセンターの新たなステージ

 地震に続き、大雨が熊本を襲っている。特に阿蘇地方で暮らすスタッフ達は、ダブルの被害でさぞ不安な毎日を過ごしていることだろうと察するに余りある。自然の力とは言えここまで被害が熊本に集中してくると山の神様までも憎みたくなる。4月14日の地震発生後、やっと阿蘇一の宮に行くことが出来たのは、先週のことであった。元気を振る舞いに行ったつもりが、逆に奈美子店長の笑顔とスタッフのパワーで私が元気を頂き、メンバーのチームワークが一段と輝きを増してくるのを体感した。個々には不安、災難、多難な気持ちをみんな心に持っているはずなのに、元気と明るさだけは、日本一のauショップと断言できる、そんな率直な感想である。宇土の潤弥店長が休みを利用して帰省していたので8名のスタッフで藍美の妹さんが嫁いだお食事処で楽しいひと時を過ごさせて頂いた。阿蘇一の宮店は思っているほど数字が上がらない地域であり、来店が少なく大変だと思うが、地震にも、大雨にも、数字にも負けない団結力は称賛に値する。あわよくば、Aランクとは言わないまでもBランクまでは、その団結力を発揮して達成して頂きたいと強く感じた。八代への帰路で復旧が進まない南阿蘇村、西原村、そして、益城町の悲惨な状況を見ながら山を下りてきた。
 さて、この8月よりコールセンターが大幅に変身する。コールセンター事業部を立ち上げたのは、auひかりがスタートした時で、平成23年7月のこと。実に5年間、色んなことに挑戦し試行錯誤の連続で生き延びてきた。その間、何度か事業封鎖を考えたことがあった。アウトバンドで光回線が取れなくなった時と決算の結果が著しく悪かった時である。それでも何とかしのいできた。この5年間の赤字は、まぎれもなくauショップの力で延命出来たのである。澤田センター長を始めコールセンタースタッフは、ここであえて言うまでもなく痛感してくれている。この気持ちは、決して忘れることなく今後の運営で頑張ってくれると確信している。今回始まる事業だが、簡単に言うと今までの仕事量が3倍になると考えればよい。インバンドでの業務がほとんどあるがオペレーター係が常時12人~15人必要で5:00~21:00までの年中無休である。この仕事とは別に福岡の業者さんからの依頼で新しいインバンドもスタートする。そしてまた、VストックのアウトバンドもKDDIの許可が出てスタートする。おそらく総勢60人ほどのスタッフで回していくことになるだだろうが、澤田・篠原・中川の役職には、孤軍奮闘をお願いすることになる。
 話しは元に戻るが、先程撤退を覚悟した時になぜ留まることが出来たのかについて説明していなかった。実はある女性スタッフとの会話で「もう少し頑張ってみよう」と決心したのだ。それは、2年前の3月頃、上原税理士の永松さんと決算の打ち合わせを終え社長室を出たときであった。昼食を済ませていたそのスタッフにコールセンターが厳しい旨の話をした。その時彼女から返ってきた言葉は決して忘れることはないだろう。彼女はこう答えてくれた。「社長、コールセンターは続けて下さい。お願いします。私達は今、auショップで頑張っていますが、いつまで現場に立てるかわかりません。いずれコールセンターにと考えていました。」「コールセンターがあるだけですごく安心なんです」と・・・私は、前を向いて前進する勇気と力を頂いた。成功の秘訣は「決して諦めない事」今度こそ何が何でも成功を勝ち取ることを約束する。
コールセンターの新たなステージ

慰安旅行は通信館の理念そのもの

本当に長く感じた5月が終わった。ゴールデンウィークが随分前の出来事のように感じているのは恐らく私だけではないだろう。1500回を超える余震は、私達の心と体に想像以上に重たい疲労と不安を与えた。ここ3日ほどは、その余震もあまり感じない日々となっているようだが、この恐怖感が拭い去られる日は、まだまだ先のようである。
 そうはいっても私達の日常は、どんどん進化し続けている。この勢いに「負けてたまるか」と心の中で叫びながらマイナスな気持ちを払拭しなければならないのだ。
 本日よりauショップ人吉が我々のグループに仲間入りした。とは言っても増えた訳ではなく芦北店を閉める条件で契約が後藤球電社さんと成立し、KDDIの承認をもらうことが出来た。以前のスタッフさんは、7名中3名の人が残ってくれた。今日から八代より3名が応援態勢に入り、現在の場所での運営が始まっている。また、それと並行して新店舗の建設計画を進めている。これも地震の影響で建設関係の需要増で完成まで4~5か月程必要であるが、オープンまでに我社に入ってくれた仲間とコンセンサスの強化と新人の採用と教育を早急に急がなければならない。ここは常務、部長に頑張ってもらい何が何でも目標必達でお願いしたいと考えている。採用・教育・運営・コンセンサス・コミュニケーションなど、どれをとっても簡単ではないことばかりだが、ふたりの取締役としての力の見せ所と考えていただきたい。充分スケジュールを組んで話し合いや打合せを綿密に行い新店舗オープンに漕ぎ着けて頂きたいと考えている。
 5月25日より待望の慰安旅行がスタートした。3年ぶりの旅行なのでさぞや待ち望んでいたことと察している。au八重洲会の設立10周年パーティーの兼ね合いで、昨年実施予定だったところを1年延期させて頂いた。その説明をした時に約束した「加賀屋に連れて行く」は、何とか約束を守れそうであるが、この加賀屋。第1班で体験した人達は、一様に「凄かった」と言っているようだが、中々具体的には話していない様子である。しかし、その気持ちは良く解る。「今から行く人たちもそれぞれに体験してほしい」と考えているからであろう。私も同感である。詳細については6月のお手紙で書くことにしよう。
 さて、石川県の能登半島、和倉温泉「加賀屋」旅行新聞が企画する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で実に36年間連続第1位である。創業明治39年。今年の9月10日で110周年を迎える。創業者は、小田與吉郎。昨年現在の小田與之彦(おだよしひこ)氏が社長に就任している。実はこの小田社長がまだ副社長時代に八代にお呼びした。八代経済開発同友会の50周年記念講演会に講師として来て頂いた。その時、私が実行委員長をしていた関係で今回の企画に辿り着いた訳である。1班の加賀屋での夕食時、社長と若女将がご挨拶に来られた。地酒の大吟醸を御樽で頂き、奥様からはお土産まで頂いた。
 いよいよ8日より第2班の旅行が始まる。36年間も連続で第1位を取り続ける理由と秘訣をどうかその目で確かめて頂きたい。
 震災の最中に、数人のスタッフから「これで慰安旅行は中止ですか」と尋ねられた。私は「何が何でも連れて行くよ」と即答した。これが通信館であり通信館の理念そのものである。


慰安旅行は通信館の理念そのもの

熊本地震 6

たくさんの方々からご心配のご連絡を頂き本当に感謝してもしきれない状態である。一昨日は、大阪の同業者で我々が作っている同業グループ会の専務理事が奥様と一緒に激励に来て頂いた。残念ながら私は家族と共に福岡へ出かけていたため会えなかったが、同じauショップのスタッフさん達のメッセージがいっぱい詰まった動画を持参して頂いた。大阪のショップからの激励メッセージである。このような形で元気を分けてくれることは、想像もしていなかったし、何よりも力強いプレゼントであった。
 先程も八代を震源地とする震度3の地震があった。昨日当たりから八代震源地が増えだしている。震源地が真下にあると地震予知のアラームが後から鳴り出す。直下型は、本当に怖い地震である。
 八代市は、人口13万人。熊本第2の都市。とは言っても毎年1千人程人口が減少している。生活するには何にも不住なく暮らせる街だが、今後人口が増加する見込みはない。一応中核のショッピングモールが2か所。40年を超すアーケード街もまだ残っている。そのアーケード街の中核をなしていた「鶴屋 生活菜館」が今回の地震のダメージで閉館することが今朝決まった。アーケードで商売を営んでいる方々にとっては、地震と匹敵するほどのダメージであろう。益々シャッターを閉める店舗が増えて行くに違いない。私達の生活環境が加速度的に変化して行っていることを再認識しなければならないということであろう。今後このような田舎の街で事業を営んでいくことは、私たちが経験した30年とは、はるかに厳しく、難しい経営になるであろう。次の世代へのタスキリレーすら戸惑ってしまう。少なくとも、私がまだ学生時代のころアーケードで商売を営んでいたところの同級生たちは、裕福で羨ましい限りであった。私が商売人を目指したのもその憧れからだったようにも思える。その街が、今、次第に消えて行きそうな時代が来てしまっているのだ。
 さて、話を地震に戻そう。余震が続く今回の熊本地震。テレビのテロップも熊本の小さな町や村の名前で流れるので随分と全国的に有名になったようだ。益城町はもちろん、宇城市・宇土市・南阿蘇村などは、日本中のどこでも知っていただけたことだろう。今回の地震は、家屋の損壊が非常に目立つが、それ以上に農作物の被害が尋常ではない。熊本は、何と言っても農業国なのだ。今回一番被害が出ているのがスイカである。植木スイカは日本一の収穫量で大きいし甘い。5月の連休明けくらいから店先に並ぶはずだが、ほぼ全滅だそうだ。この地震の影響がどこまで被害が及ぼすかまだ検討が付かない状態である。
 今年の夏は、今までで一番暑く一番長い夏になりそうである。スタッフ達の健康状態と心のケアを最大限に注視しながら「決して諦めない」覚悟で毎日を頑張って行きたいと強く考えている。

熊本地震 5

 熊本地震が発生して2週間になる。震度1以上の地震が900回を超えた。未だに余震は絶えない。ただ慣れてきたからか夜はよく眠れるようになった。一昨日から自宅で寝るようにした。気が張っているせいなのか、1週間の会社での就寝で身も心も疲労のピークに来ているようだ。何と言っても自宅の布団が一番である。
 スタッフ達もほとんどが自宅に帰った。熊本市内から通勤しているコールセンター長だけが家にひびが入って心配ということで長期的に会社の5階に寝泊まりすることになった。彼女は、我社に入社して22年目を迎える。この四半世紀、女手一つで二人の子供を大学まで卒業させた。今では、二人とも結婚し3人の孫がいる。そして、6年前、中古住宅であるが待望の自宅を購入した。満足するお給料を払えた訳ではないが、彼女の辛抱強さの日々の努力でなし得たのだ。私はその時本当に心から喜んだ。おめでとうと言うよりありがとうと言いたいほどであった。その家が今住めない状態になっている。57歳になった彼女には、あまりにも高くて険しい試練であろう。何としても元の元気な彼女に戻るまで応援して行く覚悟を私自身も決めなければならないと痛切に感じた。
 昨夜は、懇意にしている居酒屋で食事をした。私たちが入ると居酒屋のオーナーが満面の笑みで私達を迎い入れた。彼は熊本県内に7店舗の居酒屋チェーンを運営している。熊本市内で4店舗営んでいるが、全滅だったそうだ。コップに皿、そして酒の瓶がすべて割れてしまい店の中は悲惨だったそうである。先週の月曜日私は彼が運営するラーメン屋に昼食をとりに行った。実は前日の日曜日もお店を覗いたのだが、休業であった。2回目の震度7から数えると3日間休んでいる。ラーメン屋は大忙しであった。オーナーは私に気付きすぐにやって来た。「ありがとうございます」「今日休んでいたら電話するつもりだった」と私が言うとハッとして私を見た。「厳しいのはみんな一緒、店を開けるのが我々の使命だぞ」その時の私の言葉が相当聞いたらしい。彼は、熊本の居酒屋を3店舗昨日から開店させていたのだ。「あの時は効けました。竹永社長に言われて気づきました。正直心が折れていたんです。」こいつは本当に大した社長になると確信した。本当に素直で前向きな男である。まだ48歳、これからの八代の経済界を担ってくれる逸材である。お蔭で久しぶりに美味しい酒を飲ませてもらった。とは言ってもちゃんとお支払いはして来たので・・・
どんな苦難が押し寄せてこようと苦しみを試練と考え乗り越えようとすればまた新たなパワーが湧き出てくる。人それぞれに災害は降りかかって来ている。その災害の大きさは、大小様々であろう。しかし、受け止め方でその結果は全然違うものになる。今、私たちが心に決めることは「決して諦めない心」なのだ。
弊社、行動指針の第6条「悩んだ時に気付け、それは試練であると。悩んでいたら立ち止まり、試練と気づけば立ち向かう」これからも迷わず、こう生きて行くことを改めて決意したところである。
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