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社長ブログ

次の竹永淳一へ! 次の通信館へ!

2016/09/12/Mon

9月に入り、また夜中のスポーツ観戦に夢中である。パラリンピックが開幕して5日が過ぎた。各国の代表が障害を乗り越え鍛えてきた人間の限界を披露している。オリンピックとは、一味違う新鮮さと感動を与えてくれる。
先日、東京から飛行機で帰っている時のことである。いつものことだが座席に座り最初にすることは、JALの「SKYWARD」に目を通すことから始める。私が一番目に見るのは、植木義晴社長のあいさつ文である。国際線の経験が長かった植木社長は、その経験から様々な観点で意見や思いを述べられている。その切り口は新鮮であり、素朴さを感じる。
レベルは違うが一社長として共感を覚えてしまう。いつもは、その後旅の話題やグルメ情報などにさらりと目を通す頃に次第に眠気が襲いだし次目が覚める時は、着陸のアナウンスが流れる時である。
しかし今回は違った。隣のページに目をやると「只今、JALで移動中」のコマーシャルページであった。リオオリンピックの時は、錦織 圭選手が一面を飾っていた。そして、パラリンピックは、車いすバスケットボールのエース、香西宏昭選手だった。中身に目を通すとシュートをする寸前の香西選手の写真とそのすぐ横に短い文章が載っていた。その文章を読み終え愕然とした。2度震えが来た。そして次第に涙が溢れてきた。泣いている訳ではないが、涙がほほを流れて本の上にぽたりと落ちた。
私が愕然とした言葉は次の言葉だ。

僕は、生まれつき、この体だ。
だから、障がいを乗り越えたという意識はない。
いつも前を向いてきた。
可能性を信じてきた。
大事なのは、言い訳をしないで生きること。
挑戦をためらうことはない。
失敗を恐れることはない。
仲間がいる。

次の香西宏昭へ

何という言葉だろう。今、そのページに書いてある文章を見ながらパソコンを打つ手が震えてくる。「障害者」を特別扱いしてきた自分が情けない。健常者、障碍者と決めつけているのは健常者であった。それこそ差別ではないか。香西選手は、個性と受け止めている。そしていつも前を向いて可能性に挑戦し続けている。言い訳をしないで生きることすらできないでいる私。

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20160912

スポーツとリーダーシップ

2016/08/25/Thu

21回目の日曜日にブラジルのリオデジャネイロで開催されていたオリンピックが閉会した。今回もたくさんの感動と興奮を全世界の人々の心に与えてくれた。4年に1度のスポーツの祭典。私は、ニュースやハイライト放送を含めるとほぼ全ての日本選手のメダル獲得場面を視聴することが出来た。日本選手団は、41個のメダルを獲得した。過去最高の獲得数である。どの選手のどの色のメダルを見ても最大の賛辞を送りたくなるような素晴らしいシーンの連続であった。特に今回目立ってたのが、専属コーチとの二人三脚で数年に渡り挑戦し続けてきた選手が活躍したこと。水泳の萩野選手や金藤選手がその筆頭で、金メダルを獲得すために計画を立ててそれを成し遂げた良い例だった。このようなことは、日本が国を挙げて予算措置を行い、満たされた環境の裏付けが必要となる。大成を成し遂げるためには明確な目標と綿密な計画とが成し得ることであり、リーダーのありようと経営のやり方で非常に参考になった。いよいよ4年後は、東京開催である。新たな目標をセッティングして更なる飛躍を誓うアスリートがたくさん出てきてほしい。今回のリオ五輪をテレビ越しに観戦しながら「次は俺の番だ」と考えたところからもう壮絶なレースは始まっているのだ。
41個のメダリストたちがインタビューに答える際、誰もが一様に同じ感想を述べていた。これは恐らく心からそう考えてのことだろう。彼らは「たくさんの方に支えられたからこそメダリストになれた」と異口同音であった。それは何度も訪れた試練を克服した人達だからこそ心から出てくる率直な心だと感じた。世界の頂点に立てたことは、自分の努力の成果とは誰も答えないのだ。家族のお蔭・チームメイトのお蔭・コーチのお蔭・見守ってくれたすべての方々のお蔭と話していた。逞しさと人としての謙虚さがもたらすこの現実こそが、私が通信館でやり遂げたい経営である。
さて、もう一つ。八代にとってうれしいニュースが舞い込んできた。夏の甲子園で春に続き連続のベスト4に秀岳館が輝いた。100年以上も続く高校野球。八代の高校では今まで一度も成し得なかった成績である。準決勝で惜敗したが、心からよく頑張ったと褒めたい気持ちになる。秀岳館が急に強くなった理由は、間違いなく2年前に赴任された鍛冶舎監督の存在である。鍛冶舎監督は、今年で65歳になられる超一流の監督さんだ。早稲田大学・松下電器と六大学・社会人野球と現役時代名キャッチャーとして活躍された。その後、松下電器の監督も努められた。また全日本の大学チームの監督も経験されている。押しも押されもしない日本一の監督である。高校野球の春の大会。試合後のインタビューのコメントが実に軽快で謙虚であった。私は、この監督さんともっと話してみたいと。生き生きとした選手たちの態度。パワーあふれるプレー。控えの選手もレギュラー陣と同レベルの実力者揃い。秀岳館の魅力が鍛冶舎監督の魅力そのものに代わって行った。
そこで、11月に商工会議所主催で鍛冶舎監督の講演会を開催する運びとなった。来週学校を訪ね正式にお願いするが、口頭での了解はもらっている。厳しさの中に愛を感じる監督。それが鍛冶舎監督と思う。決して妥協することは許さない。甲子園優勝だけを見据えて突き進む姿勢を学ばせて頂きたいと心から考えている。

20160825

心のゆるみと油断は大敵

2016/07/25/Mon

4月14日の熊本地震以来、慌ただしい日々が続いて来たが、ここに来てやっと平常に戻りつつある。3年ぶりに開催した通信館の慰安旅行も無事に滞りなく終了した。同時に開催されたau八重洲会の10周年記念パーティも盛大な幕切れとともに7回目のファイナルを迎えた。皆さんとともに参加したパーティと慰安旅行。満足して頂いたようで企画した私としても安堵感と満足感で大変心地よい気持ちになれた。改めて皆さんからのありがとうメールに感謝したい。次の慰安旅行がいつになるかまだ分からないが、「どうすれば喜んでいただけるか」の観点に立ち、新しい企画を考えてみたいと思っている。こうご期待と言うところだ。
さて、プライベートの話題で恐縮だが、7月17日にアメリカの伯母、鈴木かつ子が他界した。急なことで私達も大変驚いているが、何と言っても89歳だったので大往生といえるであろう。しかし、伯母は大変心残りのまま旅立っていくことになったと推測する。「100歳まで現役を貫く。そして映画女優になる」と常々話していた。昨年の私の父の一三回忌に帰郷したのが最後となってしまった。「六〇歳なんて怖くない」の自叙伝が伯母の集大成となってしまったが、伯母は、この本の映画化を強く思っていた。そのことをなし得なかった想いを察すると何とも切なくなると同時にこの歳まで現役を貫き通した鈴木かつ子と言う女性を尊敬して止まない。伯母の遺言で「博シャンの墓に入りたい」と言っていたので8月11日に納骨式を取り行う準備をしている。伯母は私の父をこよなく愛していた。父博も伯母のことが大好きで最大の理解者であった。そんな関係で父が眠るお墓に入ることになった訳である。各店舗や部署に伯母の本が置いてあるので興味のある人はぜひ読んで頂きたいと考える。そして、私達の人生も常に前向きで今日一日を大切に生きて来た伯母の人生のように挑戦してほしいと心から願っている。
私達の業務は、先月のお手紙で紹介したコールセンターの拡張でより充実した業務体制になって行くことが予想される。auショップの運営も合わせて再度慎重かつ丁寧な業務運営をお願いしたい。と言うのも私達の業務は、代理店や下請け業務であることは言うまでもないが、どちらもB.TO.Bの関係で法的な契約を結び運営を依頼されている。したがって、発注側の考え方を最大限理解して運営して行かなければならない宿命を背負っている。虚偽や不正は当然ありえない。だが個人の心のゆるみや油断から本来の意図ではない行動で結果ミスを犯してしまうことがある。当然そのようなことが起これば会社に対してペナルティが発生する上、今後の契約にも支障を来たすことも現実に起きている。挨拶やお詫びが心から行われておらず、また反省した行動がないなどの理由で、再度同じような出来事が発生した時に契約解除の話まで進んでいる同業代理店があることをご承知置き願いたいと切に想う。「少しのゆるみと小さな油断」は各人の気持ちの持ちようである。改めて心を引き締め、心の中にきっちりと納めて頂きたい。しかし前向きで明るく楽しんで仕事をすることが通信館の社員である。一日一日をそのような一日で終われるよう頑張ってほしい。当たり前のレベルを上げる事、その言葉に尽きるようだ。

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コールセンターの新たなステージ

2016/06/25/Sat

地震に続き、大雨が熊本を襲っている。特に阿蘇地方で暮らすスタッフ達は、ダブルの被害でさぞ不安な毎日を過ごしていることだろうと察するに余りある。自然の力とは言えここまで被害が熊本に集中してくると山の神様までも憎みたくなる。4月14日の地震発生後、やっと阿蘇一の宮に行くことが出来たのは、先週のことであった。元気を振る舞いに行ったつもりが、逆に奈美子店長の笑顔とスタッフのパワーで私が元気を頂き、メンバーのチームワークが一段と輝きを増してくるのを体感した。個々には不安、災難、多難な気持ちをみんな心に持っているはずなのに、元気と明るさだけは、日本一のauショップと断言できる、そんな率直な感想である。宇土の潤弥店長が休みを利用して帰省していたので8名のスタッフで藍美の妹さんが嫁いだお食事処で楽しいひと時を過ごさせて頂いた。阿蘇一の宮店は思っているほど数字が上がらない地域であり、来店が少なく大変だと思うが、地震にも、大雨にも、数字にも負けない団結力は称賛に値する。あわよくば、Aランクとは言わないまでもBランクまでは、その団結力を発揮して達成して頂きたいと強く感じた。八代への帰路で復旧が進まない南阿蘇村、西原村、そして、益城町の悲惨な状況を見ながら山を下りてきた。
さて、この8月よりコールセンターが大幅に変身する。コールセンター事業部を立ち上げたのは、auひかりがスタートした時で、平成23年7月のこと。実に5年間、色んなことに挑戦し試行錯誤の連続で生き延びてきた。その間、何度か事業封鎖を考えたことがあった。アウトバンドで光回線が取れなくなった時と決算の結果が著しく悪かった時である。それでも何とかしのいできた。この5年間の赤字は、まぎれもなくauショップの力で延命出来たのである。澤田センター長を始めコールセンタースタッフは、ここであえて言うまでもなく痛感してくれている。この気持ちは、決して忘れることなく今後の運営で頑張ってくれると確信している。今回始まる事業だが、簡単に言うと今までの仕事量が3倍になると考えればよい。インバンドでの業務がほとんどあるがオペレーター係が常時12人~15人必要で5:00~21:00までの年中無休である。この仕事とは別に福岡の業者さんからの依頼で新しいインバンドもスタートする。そしてまた、VストックのアウトバンドもKDDIの許可が出てスタートする。おそらく総勢60人ほどのスタッフで回していくことになるだだろうが、澤田・篠原・中川の役職には、孤軍奮闘をお願いすることになる。
話しは元に戻るが、先程撤退を覚悟した時になぜ留まることが出来たのかについて説明していなかった。実はある女性スタッフとの会話で「もう少し頑張ってみよう」と決心したのだ。それは、2年前の3月頃、上原税理士の永松さんと決算の打ち合わせを終え社長室を出たときであった。昼食を済ませていたそのスタッフにコールセンターが厳しい旨の話をした。その時彼女から返ってきた言葉は決して忘れることはないだろう。彼女はこう答えてくれた。「社長、コールセンターは続けて下さい。お願いします。私達は今、auショップで頑張っていますが、いつまで現場に立てるかわかりません。いずれコールセンターにと考えていました。」「コールセンターがあるだけですごく安心なんです」と・・・私は、前を向いて前進する勇気と力を頂いた。成功の秘訣は「決して諦めない事」今度こそ何が何でも成功を勝ち取ることを約束する。

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慰安旅行は通信館の理念そのもの

2016/06/01/Wed

本当に長く感じた5月が終わった。ゴールデンウィークが随分前の出来事のように感じているのは恐らく私だけではないだろう。1500回を超える余震は、私達の心と体に想像以上に重たい疲労と不安を与えた。ここ3日ほどは、その余震もあまり感じない日々となっているようだが、この恐怖感が拭い去られる日は、まだまだ先のようである。
そうはいっても私達の日常は、どんどん進化し続けている。この勢いに「負けてたまるか」と心の中で叫びながらマイナスな気持ちを払拭しなければならないのだ。
本日よりauショップ人吉が我々のグループに仲間入りした。とは言っても増えた訳ではなく芦北店を閉める条件で契約が後藤球電社さんと成立し、KDDIの承認をもらうことが出来た。以前のスタッフさんは、7名中3名の人が残ってくれた。今日から八代より3名が応援態勢に入り、現在の場所での運営が始まっている。また、それと並行して新店舗の建設計画を進めている。これも地震の影響で建設関係の需要増で完成まで4~5か月程必要であるが、オープンまでに我社に入ってくれた仲間とコンセンサスの強化と新人の採用と教育を早急に急がなければならない。ここは常務、部長に頑張ってもらい何が何でも目標必達でお願いしたいと考えている。採用・教育・運営・コンセンサス・コミュニケーションなど、どれをとっても簡単ではないことばかりだが、ふたりの取締役としての力の見せ所と考えていただきたい。充分スケジュールを組んで話し合いや打合せを綿密に行い新店舗オープンに漕ぎ着けて頂きたいと考えている。
5月25日より待望の慰安旅行がスタートした。3年ぶりの旅行なのでさぞや待ち望んでいたことと察している。au八重洲会の設立10周年パーティーの兼ね合いで、昨年実施予定だったところを1年延期させて頂いた。その説明をした時に約束した「加賀屋に連れて行く」は、何とか約束を守れそうであるが、この加賀屋。第1班で体験した人達は、一様に「凄かった」と言っているようだが、中々具体的には話していない様子である。しかし、その気持ちは良く解る。「今から行く人たちもそれぞれに体験してほしい」と考えているからであろう。私も同感である。詳細については6月のお手紙で書くことにしよう。
さて、石川県の能登半島、和倉温泉「加賀屋」旅行新聞が企画する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で実に36年間連続第1位である。創業明治39年。今年の9月10日で110周年を迎える。創業者は、小田與吉郎。昨年現在の小田與之彦(おだよしひこ)氏が社長に就任している。実はこの小田社長がまだ副社長時代に八代にお呼びした。八代経済開発同友会の50周年記念講演会に講師として来て頂いた。その時、私が実行委員長をしていた関係で今回の企画に辿り着いた訳である。1班の加賀屋での夕食時、社長と若女将がご挨拶に来られた。地酒の大吟醸を御樽で頂き、奥様からはお土産まで頂いた。
いよいよ8日より第2班の旅行が始まる。36年間も連続で第1位を取り続ける理由と秘訣をどうかその目で確かめて頂きたい。
震災の最中に、数人のスタッフから「これで慰安旅行は中止ですか」と尋ねられた。私は「何が何でも連れて行くよ」と即答した。これが通信館であり通信館の理念そのものである。

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