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社長ブログ

通信館が考えるCX

2016/12/15/Thu

昨日、東京出張から帰社。今回は12月ということもあり結構タイトなスケジュールであったが、いろんな場面でいろんな気づきをした3日間だった。
私は、熊本空港までの移動には、神園交通が運航する「スーパーばんぺいゆ」という熊本空港と八代の駅やホテルを結ぶリムジンバスを使用している。今回も新八代駅から熊本空港まで約50分ノンストップでこのバスを利用した。バスに乗り込むと私の前にいた人が乗車口の一番近いところに座ろうとした。すると運転手が「その席は空けておいてください」とその人へ命令口調で言った。「はい」と言ってその人はすぐ後ろの席に座った。私は、このバスが運行を開始した時から毎月2回は使用している。したがって延べ200回ほどは乗車している。なのに「その席を開けといてくれ」と言われているのを聞いたのは初めてであった。荷物の量が多い時にその場所を荷物置きにしていたことは覚えがある。しかし、見回しても荷物の量はそれほどでもない。通常の置き場で充分である。バスは、空港まで直行なのでこれ以上乗客が増える訳でもない。私は「どうして・・・」と頭を巡らせながら「もしもの事故の時に備えてそうするようになったのかな」と勝手に解釈してこの出来事を忘れることにした。
東京での仕事を済ませ。話は復路の飛行機の中である。いつものように12月号のJALの情報誌に目をやり、最初の植木社長のあいさつ文を読みだす。この文章に非常に興味深いことが載っていた。国内線の乗務員からの提案で始められたそうだが、なんともユニークな取り組みである。それは、CAが自分の故郷や好きな県また思い出の県などから1つを選び、その県が印刷してあるバッチを胸にはめているのだ。植木社長の下りの言葉に、少しでもお客様との共通の話題で飛行中くつろいでいただければ幸いですと書いてあった。私は、即座にCAに目をやった。確かにどのCAも左の胸に赤いバッチをつけていた。よく見ると中の方に書いてある模様が全員違う。「そのバッチ、植木社長のあいさつ文読んだけど」とCAに話しかけてみた。すると、満面の笑みで「わっ、お気づきありがとうございます。」と即答で返された。そして「この中お分りですか?京都府です。」「私は京都出身ではないんですが、京都が大好きでよく行くので」と話してくれた。そして、自分の席に戻られまた笑顔で来てくれた。そして彼女が笑顔で手渡してくれたものは日本航空のシールだった。ほかのCAが横を通るたびに私はそのバッチを指さし広島県・神奈川県とあてて見せた。すると大変喜んでくれ4名のCAからご当地シールをいただいた。
JALの今回の取り組みは、まさにCAスタッフの発案で生まれたCXである。この提案を実行するJALも大した会社である。飛行機の中では、用事もなくCAに話しかけるのは結構勇気がいる。これは、お客だけでなく、CAからも話し辛いであろう。そのきっかけを作ったり、また1時間ほどの時間を有意義に心地よく過ごしていただきたいと心から思う会社やスタッフだからこそできる「仕掛け」である。
私は、熊本空港から新八代までまたスーパーバンペイユに乗った。今回の運転手は、一番前の席を空けてくださいとは言わなかった。CXの確立は、まさしく企業次第である。

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47都道府県の飴があるそうです

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無限の可能性

2016/11/25/Fri

11月23日の妙見祭には、例年に増してたくさんの観覧者やお参りの人達で大変な賑わいを見せていた。ユネスコ世界文化遺産登録間近ということもあり、主催者発表で20万人を超える盛況であった。今回は人吉店の移転先でウラタ不動産の社長ご家族を招待し、桟敷席から神興行列や出し物を見学した。中島町の獅子舞を先頭に4時間を超える行列だが、天候にも恵まれ楽しいひと時を送ることが出来た。ウラタ社長とご家族も大変喜んでいただきご招待した甲斐があったようである。いよいよ12月9日にオープンを控えるauショップ人吉だが、万全の準備とスタッフのチーム力をいかんなく発揮して頂き、大成功のオープニングイベントを期待したい。
今月も後5日ほどで終わるが、総合指標の締め月のため孤軍奮闘の毎日を送っていることであろう。毎回この締め月だけは、auショップのスタッフから逃れたいとみんなが思っているに違いない。どうにかしてほしいと願っても後悔先に立たず、である。何としても最低目標だけはクリアしてもらわないと私も大変困ることになる。最後の最後まで諦めないでとことんやり続けてほしいと切に願望する。
さて、昨日24日に熊本学園大学にて「熊本県産業教育振興会の産学懇談会」に参加してきた。聞きなれない言葉であまり興味もわかないだろうが、解りやすく説明すると、産業(法人事業者・工業・商業・農林水産業)と学(農工商の高校・専門大学)とが連携する団体が高校生や大学生を支援することが目的で作られた会である。その高校生の代表が緩急発表をするのがメインの事業である。解りやすくと言ってもまだ解らないかもしれないが、農業高校・工業高校・商業高校が体験実習や研究開発したものを発表する訳である。
今回の発表で感動した実例を紹介してみたい。阿蘇中央高校(旧阿蘇農業高校)が発表した「イチゴにおける地域資源を活用したオール電化栽培の研究」である。阿蘇中央高校といえば大変申し訳ないが熊本県でもそんなに目立った高校ではない。どちらかといえばレベル的には高いとは言えない高校である。そういう見方がいっぺんに飛んでしまうほど強烈な研究発表であった。端的に言うと、この研究チームは「白いイチゴを開発した」という事。ここまでなら「へー」である。そのイチゴを世界的に有名なクリスチャンディオールが来年から世界をターゲットにスタートする「ディオールフルーツ」に採用されたとの発表であった。会場から感嘆の声が上がった。びっくりである。何度も言うが高校生が作ったイチゴである。ディオールとの専売契約なのだ。会場にいた人は、「そんなことがあるの」と思ったに違いない。私も当然そう思った。
ここで考えてもらいたい。わずか17,8歳の若者が世界を相手に商品開発をした。それも高校の授業の一環でだ。今回の懇談会で一番感じたことは「可能性は無限である」という事。私たち一人一人の可能性はもちろんだが、個々が手をつなぎスクラムを組み一点を見つめて進む力は何十倍にもなる訳である。私たちは、「チーム通信館」である。私たちが求めるもの。私たちが進む道。私たちが目指すところ。それを一つにし、団結すれば必ずや明るい未来が待っているのだ。どうかこの無限の可能性に共感して頂きたいと強く思う。

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ユネスコ世界文化遺産登録間近

2016/11/20/Sun

九州三大祭りである八代妙見祭が今回笠・鉾・屋台の日本で存在する33団体の出し物がユネスコ世界文化遺産に登録される。4年前からノミネートされ地元でも「八代応援隊」として経済界が中心となり盛り上げの一助を担ってきた。10月の末にユネスコから内定をいただき11月23日に開催されるお祭りが一段と賑わいを見せてきている。
400年近く続いて来たこの祭りは、中国との貿易が盛んだった昔を象徴している。特に獅子舞は、艶やかな衣装とチャルメラの音色がまさに中国の歴史を忍ばせている。他にも一キロほど続く神幸行列は、数千人の市民が参加し10キロ近くある道のりを朝8時より塩屋八幡宮を出発し妙見神社の下宮・中宮を目指し進んでくる。
祭り最大の見どころは、宮地トサキの河原で繰り広げられる各出し物のパフォーマンスであろう。特に一番人気が出町の亀蛇である。体長5メートルの架空の動物亀蛇は、川の中ももろともせず元気に走り回る。何とも勇壮なそしてユーモラスなところも持ち合わせている亀蛇である。
今回のユネスコ世界遺産に決定する出し物は、獅子でも亀蛇でもない。八代城の周りで商売を営み、財をなした商人たちの象徴である笠鉾9体である。江戸時代の城下町を彷彿させる煌びやかな笠鉾である。この行列が今回の主役でなければならない。私は子供のころからこの笠鉾の行列に参加していたため、より感慨深い今回の祭りとなった。当日は、桟敷席の一番前で見学できるので本当に今から楽しみである。
そして12月3日ユネスコ応援隊の主催でメモリアルフェスタが開催される。八代神社(妙見神社)と隣の宮地小学校を会場として開催されるこのイベントもどうぞ合わせてご見学頂きたいと考える。

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新しい出会いに感謝

2016/10/25/Tue

10月21日ついに60歳の還暦を迎えた。30歳になったころから大台に乗る度に気を引き締めてと言い聞かせてきたが、あくる日からまた同じような生活にまみれ、変わりなくここまで来たように思える。そうはいっても通信館を創業して30年、人生の半分を通信館で戦ってきた訳だ。30歳の時、一人で始めたポケットベルの営業。現在では、携帯事業に70名、コールセンターに50名の大所帯になった。自分の年齢を考えた時より、仕事の現実を見据えた時の方が、身が引き締まる思いがする。「みんなが少しでも楽しく、幸せになるように」と心からの思いである。
10月8日ゆめタウンの本社からリテーション開発部の金藤(カネトウ)部長が来社された。この方は、ゆめタウングループのテナント部門を担当する親分である。2年前から話に上がっていたauショップとSBショップの移転問題が話の大筋であった。正式な交渉としては、今回が3回目になる。今回は、親分のご来社ということで着地点を決めて交渉に臨んだ。来年2月の上旬の移転を私の方から切り出した。金藤部長の顔がいっぺんに笑顔になった。あとは詳細の詰めとお隣との話し合いである。SBショップを運営する㈱ジョーツーの後藤社長との交渉は、私がすることになった。彼とは高校の同級生で3年間同じクラス。隣同士の席だったこともある。考え方も良く理解し合える仲なのでそのような形になった。久しぶりの来社だったので金藤部長とゆめタウン八代の尾崎次長と3人で食事に出かけた。
金藤部長の話を聞きながら、やはり大きな会社は大変だとつくづく感じた。部長曰く、「岡山から長崎まで8回の転勤をして来た。すべて家族同伴です。」娘さんがお二人で、小学校が3校・中学校が3校・高校が2校転向されているそうだ。ゆめタウンの中でも珍しいことだそうだ。金藤部長が長女の高校卒業式に初めて参加された時の話。今まで12年間学校の行事は一度も参加したことがなかったそうで。奥様から「最後だから何とかなりませんか・・・」とお申し出があったそうだ。卒業式が無事に終わり、クラスごとの最後のホームルームを奥さんと共に見学。先生から話があり、その後全員の生徒が一言ずつ挨拶となっていた。金藤部長の長女さんが話された言葉「小学校から12年間で8回の転校をしてきました。最初は不安でいっぱいだったけど、今になってみると各地にたくさんの友達が出来、今でも親しくおつきあいしています。これが私の宝物になりました。全部の転勤に連れて行ってくれた両親に感謝します」と話されたそうだ。後ろの席で夫婦そろって号泣しました。と楽しそうに話してくれました。
私は、この話を聞いて益々この金藤部長を好きになった。そして「金藤さんの人柄と仕事を頑張って来たことを奥さんが子供たちにいっぱい話してくれたお陰ですね」と言いました。来年の3月に次女さんが大学を卒業されやっと肩の荷が下ります。と笑顔で話される金藤部長を信じてゆめタウンの移転を前向きに考える決意となった出来事である。
このような出会いが、60歳の私にもまだまだあることをどうか知ってほしい。そこから考えると皆さんの可能性は、無限大ということになる。星の数ほどの出会いを自分のものにするかどうかは君達  次第である。

風の思い出

2016/09/23/Fri

台風16号が日本列島をなめるように進んでいる。945ミリバールの台風が日本に上陸するのは本当に久しぶりである。速度も遅かったせいで九州、四国、紀伊半島、愛知東海地区と相当な被害が出そうである。今年の台風は、動きが本当に解りにくい。これも異常気象の仕業なのだろうか。今夜関東を抜けて太平洋に進むだろう。どれほどの被害に日本中が見舞われたか明日の朝、その被害状況が報道されるであろう。今は、最小限度の被害を祈るばかりだ。

九州は、過去においても台風の被害で何度も悲惨な目にあっている。八代でも何度となく大きな被害に見舞われている。私が覚えている範囲で3度は、甚大な被害に襲われている。昭和41年だったと思うが、当時私たち家族が住んでいた長屋に樹齢100年ほどの大木が折れて長屋の屋根めがけて落ちてきた。朝方4時ごろだったと思うが「ドスン」と爆弾でも落ちたかのようにとてつもない爆音が響いて飛び起きた。親父と一緒に外へ出てみると隣の家の2階部分が跡形もなく潰れていた。隣には、当時30歳後半の女性が一人で住んでいた。親父が「〇〇さん大丈夫ですか?」と2回ほど叫んで小さなか細い声が返って来た。親父が瓦礫を退かしその女性を救出した。幸い足にかすり傷と打撲程度の負傷であったが、救急車が来るまで我が家で休んでいらっしゃった。家の前の道路は、ジャングルのように大きな木が横たわっていた。私が台風の怖さを初めて体験した出来事だった。なぜなのかはよく分からないが、台風は、夜か明け方にやってくることが多いような気がする。しかし2度目に大きな台風に見舞われたのは、真昼の台風であった。あれは平成5年だったろうか?その頃私達は、代陽小学校の裏手に住んでいた。あちこちで瓦が飛んだり、ガラスが割れたりと相当な被害が出た。井揚町では、電柱が軒並み倒れていた。壁が崩れ、並木が根元から折れていた。道路もかなりの所で通行不能になっていた。我が家も被害が出た。玄関の横に洋間があったが、そこの畳2畳ほどある1枚ガラスが多分隣の瓦が飛んできたと思うが、粉々に割れた。12畳ほどの洋間は、ガラスの海。その部屋に誰もいなかったから良かったものの、その場にいたら怪我どころでは済まなかったかもしれない。

最後は、12年ほど前のことだが、この時も夜中の台風で本当に風が尋常でなかった。今、神山本部長が住んでいる家の庭の木が3本、折れて家の屋根に倒れてきた。私は、娘と二人で恐々窓越しに様子をうかがっていた。その時である。我が家の斜め前のお宅の屋根がギシギシとうねり音と同時に道路の方に180度倒れてきた。信じられない光景に出くわしてしまった。今もあの光景は忘れる事はない。屋根が丸ごと倒れてくる光景などそう簡単に見られるものではない事ぐらい分かっているが、柔道の一本背負いのような光景であった。

この3回の台風が私の記憶から離れない大きな台風であるが、ここ数年、八代地域には、それほど大きな被害は出ていない。地震もそうであったが、今のところギリギリのところで収まっている。これが最悪の事態が起こる予兆でなければいいが、熊本地震も収まりつつある中で、最後に日奈久断層深度8などと言う事がないとも限らない。
何はともあれ、災害に対しての準備と注意を最大限に払いながら毎日を過ごしたい。

20160923