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社長ブログ

クアンタム・オブ・ザ・シー

2015/07/27/Mon

長くて蒸し暑い梅雨の長雨が終わった。じめじめと鬱陶しい毎日で心も体も今一つ元気になれない日が続いた。この八代地方に10年近く台風の被害がない。その分と言っては語弊があるが、雨は本当によく降る。これだけまとめて降っても球磨川の氾濫は問題なさそうである。その昔、川辺川ダムの推進派と反対派で市を二分して争った経緯があるが、一瞬の民主党政権下で「ダム建設撤回」が決議され、蒲島知事が最終決断をされてから熊本県もやっと落ち着いた。今となっては、五木村のダム建設予定地の修復だけが課題であるが、大雨の被害でのダム議論は、もはや過去の話になっているようである。

さて、新聞やテレビの報道で皆さんもご承知だと思うが、7/23にロイヤルカルビアン社のクアンタム・オブ・ザ・シーという超大型クルーズ船が八代港に寄港した。この船は、168,000トン、世界で2番目に大きいクルーズ船である。全長384メートル・横幅60メートル・乗客4,000人・乗務員2,000人という17階建ての超大型船である。熊本県庁の建物の約3倍の広さを誇るこの船が、八代海を鹿児島の方から北上し7/23の7時に着岸した。

実は今日に至るまで商工会議所が4年がかりで準備を進めてきた経緯がある。元来八代港は商業施設港であるため観光船のための施設は何一つない。熊本港のようなターミナルもなければ、売店や免税店もない。そのような港でも、何とかして大型のクルーズ船を寄港させたいと松本会頭のリーダーシップのもと誘致運動を繰り広げてきた。昨年、イタリアのコスタ社が10月の花火大会に合わせて2,000人の乗客を乗せて寄港した。あの船が76,000トンであった。しかし今回の船はその時の2倍の大きさと2倍の乗客・乗務員である。7/23のことなので正確な人数は把握できていないが、日帰りツアーで一番人気は熊本城とゆめタウンはませんのセットで50台の大型バスが一斉に入場したそうで約2,000人の観光客でごった返しになったようだ。勿論全員が買い物目的なのでその売り上げは「爆発的でした」と八代店の原屋店長から弾んだ声で報告があった。

このように熊本県全体にもたらした経済効果は、本当に計り知れないものであったと推測している。今年は、今回のクアンタムで3隻目だが12隻のクルーズ船が八代港に寄港する。来年は「36隻やりたい」とカルビアンのアジア総責任者の劉支社長は豪快に語っていた。八代の受け入れ体制が急がれるわけだが、ハード面だけではなくホスピタリティを大いに発揮したソフト面も充実していきたいものである。私達商工会議所の執行部では、今の岸壁を2バース着岸可能な状態まで今年中に持っていきたいと考えている。将来的には。ニュー加々島の岸壁を改良し、ターミナルや免税店そしてアジアンフードが楽しめるモール等を建設し、年間100隻着岸できる観光港に仕上げるという夢の実現に向けて走り続けたいと考えている。

私達の愛する街八代。この街で生まれ、この街で育ち、この街で暮らし通す。街全体が快適で過ごしやすい環境を維持していくためにも夢に向かって前進続ける男でありたいと心から感じている。仕事が志事であることを常に念頭に置き頑張る所存である。

20150727

本日より6月

2015/06/01/Mon

本日より6月、今年も早いもので5ヶ月が過ぎた。弊社の業務も第1クオーターが終わりホット一息である。毎月のことであるが数字との戦いをスタッフ達に課していることに苦痛の念を感じてしまう。仕事とは言え20歳そこそこの若者に数字数字の毎日を送ることは、大変な仕事だと思う。みんな良くぞ頑張ってくれていると感謝している。こんな状況でも明るく楽しく笑顔満開でいてくれるスタッフを誇らしくも思う。「この子たちが喜ぶことをしてあげたい」そう考えるのは、私の自然の気持ちなのだが、つい行き過ぎてしまうのも屡である。
下の写真は、5月11日に実施した、全体会議の時の決意表明の模様。各店舗の発表は見答えがあった。今年の新年会で初めて実施し非常に盛り上がったので今回もやってみた。新年会よりさらにグレードアップ。全体のテンションは最高潮にグレードアップ。この後の懇親会は、ほんとに楽しいひと時となった。食事もセレクトロイヤルホテルのビュッフェバイキングに加え、食房小川のステーキ。イタリアレストラン、ルミ二のパスタ。スタッフ達の笑顔が心から嬉しく思える一夜となった。

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志を高く

2015/05/25/Mon

いよいよショップ総合指標の締めが近づいて来た。4月・5月と台数がイマイチ伸び悩んだため各店とも相当厳しい状況の中最後の頑張りを戦々恐々実施されていることと考える。毎回のことだが締め月は、なんとも異様な空気がショップに流れる。みんなの笑顔もどことなくいつもと違いぎこちない。店長は、少し私を避けているように見える。「みんな必死なんだ」と改めて感じる。だからと言って未達成は許されない。何が何でも自分たちで決めた目標の達成はやってもらわなければならない。あと1週間。ここからが手腕と覚悟の違いが見えてくる。6月1日から新体制でスタートを切る訳で有終の美を飾れるかどうかだから、持てる能力と気力を120%使って全ショップ悲願の達成を心から願っている。

さて、今回のお手紙では、「志を高く、魂を磨く」の社是に関わる話をしてみたいと考える。私が通信館の社是をこのように決断したのは、今から6年前のことで当初から存在していた訳ではない。作ろうと決めたのは、実に単純な動機であった。通信館のホームページを新しくするにあたって「社是・経営理念・行動指針」を新しく考えて掲載するために考えた。
勿論、考え方は、以前から私が何度も皆さんに話して来たことばかりで根底から作り始めたわけではない。「社是・経営理念・行動指針」をパソコンに向かい作り始めて大体の基本形が出来るまで約2時間半、私としては、自分の考えを書き出したまでですらすらと出てきたのを覚えている。それから、何名かの幹部と内容のチェックを行い、あくる日には出来上がっていた。
そんな中で「社是」を「志高く 魂を磨く」としたか、少し話してみたい。今では、殆ど使わなくなっている「本物のサービスを提供するための10か条」というものが我社には随分前からあった。おそらく20年ほど前に作ったものである。その第1条に、「素直で向上心が備わっていること」とある。本物のサービスを提供するために、まずは、素直と向上心が出てくる。私は、13年間病床で寝たきりでいる母から「素直になれ」と強く言われ続けてきた。ある時母は、知人と話しをしていた。まだ小学生の4,5年生だった私は横から聞き耳を立てていた。すると、母は「素直なところだけがとりえで・・・」と嬉しそうに話していた。誰のことだろうとさらに聞き耳をダンボのように立てていると私のことであった。その時、非常に嬉しかったのを覚えている。母から何度も言われていた「素直であれ」の言葉。自分ではそれが出来ているのかどうなのか解らないでいた。ところが母が自慢げに話している。「そうか、素直なことは自慢できる事なんだ」と考え、素直な心でいることが習慣づいて来たのだと思う。向上心についても同じような出来事があった。私がまだ会社員のころ、つまり、ブリヂストン八代の店長時代の出来事である。熊本の社員教育会社が主催する研修に参加した。矢部(現在の美里町)の国民宿舎で1泊2日の研修だったと思う。研修が終わり数日後、担当講師が福島社長のところに研修のお礼と私の所感を報告に来られた。その時、「竹永さんの向上心の高さは素晴らしい」と評価を受けた。自分では気づいていなかったことで、またこれも他人から褒められることで気づき自分自身の個性として根付いて行ったのである。

このように、「志を高く」の社是の言葉は、私自身の経験から作られた言葉であることを皆さんにも理解頂きたいと考える。さて、今のあなたはいかがですか・・・

20150525

ベトナム戦争を体験した日本人

2015/05/15/Fri

久々のブログである。どうも最近、この言葉からスタートすることが多くなり非常に反省している。気持ちを入れ替えて頑張ってパソコンに向かいたいと考えている。
さて、今日の熊日朝刊の一面に私の従妹が大きく取り上げられていた。ご丁寧に29面にも詳しく掲載されている。私の従妹、竹永一則(アメリカ名ケン竹永)は、この新聞で紹介してある通り16歳でアメリカのニューヨークで暮らす再婚した母親(私の叔母)を追って一人で渡米した。私が小学校2年生のことで熊本の辛島町まで見送りに行ったのを覚えている。叔母が渡米した後、私の家に居候したり、魚屋を営んでいた伯父の家にいたりしていた。本人は、魚屋にいると仕事を手伝わねばならなくなるので昼間はよく我が家に来ていたのを覚えている。一則は、希望と夢を抱きながら母のもとへと旅たった。しかし待ち受けていたアメリカでの生活は、自力で何とかしなければ生活すら困難な状況が待ち受けていた。頼りの叔母はというと、日本人の男性と3回目の結婚をしたばかりの状態で大変な状態だったらしい。一則は、昼間アルバイトをしながら夜間の高校に通った。50年以上も前の話しなので、今のように留学生扱いなど皆無な状態。第2次世界大戦が終わりまだ20年も経っていないころで日本人にもかなり冷たい時代であった。
今回一則が、熊日新聞で取り上げられた内容は、ベトナム戦争を経験した数少ない日本人であること。新聞にはその経験者ということしか記載がなく、何のためにアメリカ海兵隊に入隊したかは記載されていない。アメリカの海軍に入隊したかった一則は、海軍と海兵隊の違いを知るのは、海兵隊入隊後であった。海兵隊は、文字通り、「海の兵隊」未知の地へ最初に上陸し、海兵隊が無事に基地を作ることができた後に陸軍が上陸するという、一番過酷な部隊であった。その部隊の訓練を終え、日本人として初めてベトナムへ送り込まれた一則は、親戚の私が言うのもなんだが、覚悟と負けん気の強さで1年間乗り切ったわけで、すごい経験をした強い男だと思う。
右腕の傷跡を見せてもらったが、今でも痛々しい抉れた跡が残っている。もう、50年たつので頭を負傷した傷は消えてしまったが、20年前まで頭のてっぺんにも弾道が通過した跡があった。従妹の一則は、日本人の中でも背が低い方で160センチほどである。もしも、平均身長の170センチほどあればその弾道は、眉間を直撃していたであろう。ヘルメットは粉々になるほどの衝撃を受けたこともあった。本人ではないので全てを彼の気持ちになって伝えることは出来ないが、彼の人生は、「アメリカ国籍を取得するため」に入隊した海軍海兵隊での出来事で大幅に変わった人生になったことは間違いではなさそうだ。
沖縄の軍隊の病院に収容され、半年後に帰国することになるのだが、良くぞ生きて帰国できたと思う。その証拠に、彼が所属していた部隊は、その後壊滅状態になったと聞いている。負傷したからこそ生き延び今日本とアメリカを行き来している。68歳になった男の人生こそ、波瀾万丈の言葉がぴったりくる男であることを紹介しておきたい。
熊日新聞の記事を読まれた方は、この説明も付け加え、竹永一則(ケン竹永)をお見知りおき行きたいと思う。

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通信館の試練は「人」で乗り越える   2015年4月

2015/04/22/Wed

早いもので今年も3分の1が終わろうとしている。新年会でスタッフ全員の笑顔と活気を体感したのが、つい先日のように感じられる。しかしながら、この間で様々な出来事や状況の変化がいくつもあった。すべて予想されたことではあったが、いざその状況になってみると一つひとつの出来事がボディブローのように効いてくる。この4月は、まさに携帯電話業界の過去の歴史の中で3本の指に入るほどの変革時期のような気がしている。

1月よりスタートしたドコモの光卸し。NTTが国策でスタートした固定通信網をドコモの販売力を使って光回線を色んな事業者に卸し始めた。KDDIが唯一独占販売していた固定と携帯電話とのコラボ商品「スマートバリュー」が3キャリア共に足並みを揃えたことになる。そして、ⅯVNOとSIMフリー。家電量販店の携帯電話のコーナーが最近ではスタッフの数も半減し、販売力もかなり落ちていた。その原因は、きちんと説明できるスタッフを養成指導できないでいたこと、より複雑化するキャリアの商品と料金設定でキャリアショップの信頼が際立っていたことが原因である。そこへ来て、MVNOとSIMフリーは、説明が簡単な上、安価で売りやすい。大手家電量販店がスタッフを倍増して売り場を拡大している現状がある。ここで皆さんに深く理解してもらいたいことは、まず、この現状を知った上での施策や企画を考えていただきたいこと。もっと詳しく言うと、ポスターやチラシ、店頭のプライスカードに至るまで上記に書いたことを理解した言葉を選ぶことである。そして、トークも同様に考えていただきたい。つまり、このような状況下であっても我々が取り扱うキャリア携帯は、安全・安心・信頼・高機能・リーズナブルであることを自信と情熱を持ってお勧め頂きたいと考える。

我々は、代理店業である。したがって通信館だけの考え方ややり方など出来やしない。KDDIが考え、企画したものをお客様にお勧めするのが任務である。ここは、KDDIが次にどのような施策を打ってくるか楽しみにしてみたいと考えている。そのために私は、たくさんの情報を仕入れ、携帯電話アナリストやKDDI経営幹部と接触して皆さん方にいち早く情報をお伝えすることに頑張る所存である。
このような状況下にあっても我々には最大の武器がある。それは「人財」である。私は、28年間この会社を経営してきたが、一貫して人の教育に対して「そこまでやるか」と言われるほど先行投資をしてきた。管理者養成学校には、退社した人間も含めて10名の管理職を送り込んだ。私を含め木本、堀坂は、ご丁寧にも2回学校に派遣した。ためになったかどうかはご本人たちを見て頂ければ解ると思うが、どちらにせよ、通信館は、この「人」を最大の武器として今後も立ち向かっていくことになる。女性社員には、何度となく言ってきたが、「立派なお母さんになること」これも不変の考え方であることを再度申し上げたい。
さて、5月の全体会議では、人事の再編を行う予定になっている。まだ私の中では固まっていないのでその時を楽しみにしていただきたいが、基本姿勢は、「通信館の仲間は、いつでも愛し愛されている仲間同士」である。ドキドキと思うよりワクワクと考えていただきたいと考えるがいかがでしょう。